溢れ出た記憶
ある日のこと
母が写真の整理をしていたら見つけたと、幼いわたしの写真を出してきたことがあった。
わたしは白詰草で作った花輪を被りフラダンスのような動きをしてみんなを笑わせていた。
物心つく前の写真。
わたしには記憶がなかった。
わたしはわたしの記憶の中で感情を押し殺し、冷めたこども時代を送っていた、と思っていた。
そしていま、沈黙の時代が終わり、わたしは誰かといる間ずっと話し続け、時にふざけ、笑わせ、全く違う人格になったと俯瞰した。
わたしのルーツには人を笑顔にさせたいという自分がいたのだ。
そしてそこには最近では、見返りを求める自分がいた。
思うような反応が返ってこないと、傷ついた。そして傷つかないふりをして、また同じことを繰り返す。
話は少しそれるけれど、電車のなかで席を譲るのが怖い時期があった。良かれと思って席を譲ったら、自分は老人ではないと、憤慨されたことがあった。良いことをしたのに怒られる理不尽さが怖かった。それも相手からの感謝を期待したから。
悪循環の中で、いらない忍耐と人に対する不信感を積み上げていたことに気づく。
こどもの頃、両親はいつも気難しい顔をしていた。姉たちもしかり。
幼いわたしは馬鹿なふりをしてふざけていた。
小さな弟をいつもあやして、笑わせていたと母から聞いた。
あの頃、見返りを期待することもなく純粋にみんなに笑って欲しかったんだと、今頃になって思い出し涙が出た。
わたしはただ笑顔が見たかったのだ。
みんなの笑顔が好きだったのだ。
昨日わたしは大きな決断を実行した。
大好きな人の前から消えた。
自分で決断したから後悔はない。
たくさんの期待と相手を求める嫉妬に狂う前に逃げ出したと言っても良い。
とても大きな気づきがあった。
わたしはやはり笑顔でいて欲しかった。
しかしその笑顔はわたしの要求を隠した上での笑顔でしかない。と気づいたのだ。
わたしは自分を殺して相手を尊重した。それは無意識の忍耐だった。
本心で話していたつもりが
積もり積もった期待が、わたしの感情を殺していたことに気づく。
人を笑顔にするのに、自分が泣くのは純粋な幸福ではない。
真実ではない。
わたしは人の笑顔が好きだ、
でも
自分が笑顔でいられることを
本当に大切にしたいと心から思った。
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