過去から現在に渡る橋
3月11日が近づいているせいか、福島の文字をよく目にする。
昨日、小原一真さんの写真展関連企画で行われた朗読会「チェルノブイリの祈り」に伺った。
この企画で音楽を担当されるkawoleさんの歌が聴きたいという思いが先だったが、紹介文に福島の文字をみつけた時に、この企画に伺おうと決めた。
今回の企画はチェルノブイリと福島をどう繋げたものなのか、それを知りたいと思った。
ノーベル文学賞を受賞した、スベトラーナ アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」の朗読会。
シンギングボウルの高音が始まりを告げ、kawoleさんの声が乗る。
今回は彼女は全てを音響に徹していた。
五人の朗読者たちが代わる代わる朗読する。
被災者たちのインタビューからなる「チェルノブイリの祈り」内容からすると東日本大震災時の福島と重なるというより、現実から目を背けたくなるような痛ましい描写で、それを淡々と、時に熱を込め朗読する朗読者たちの声をそのまま受け取った。
音楽が重なると少し涙が出た。
今回の演奏でkawoleさんはウクライナの曲を唄ってくださったそう、何語だかわからないけれど美しく少し憂いを帯びた曲がそうだったのではないかと浮かぶ。
終わってから小原一真さんがお話してくださった。
___声に出すことでその出来事を風化させない。
それは当事者たちが声をあげることだけではない。
他人事と思い無関心になるのではなく、 その事実に寄り添うこと。それを知ろうとすること。
それは、チェルノブイリの事件だけでなく、東日本大震災、すべての出来事にいえるのではないだろうか。
わたしは福島県から自主避難してきたことを自分から言ったことはなかったけれど、今回福島をこれからも取材されるという小原さんに話をお伺いすることになり、自分から声を出した。
チェルノブイリと福島の状況は違うという。
わたしは今まで向き合わずに福島から眼を背けてきた。自分の中にある恐れや不安、それらを解放するためには事実を知ろうとするところから始めなければならない。
そう思う大切な夜だった。
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