五感を使うと、なぜ生きてる感覚がするのだろう。
岐路に立たされたとき
私はいつも逃げ道を探そうとする。
考えたくない
という逃げ道。
後で考えればいい
という逃げ道。
たくさんの命がなくなった日が来るたびに
自分の立ち位置を確認せざるおえない。
ある時は、
たくさんの命に救われた存在。
たくさんの命の為にも生きるのだと。
ある時は、
なぜ自分は生きているのか
生きる意味を自分に問い続ける。
深刻なことを考えるたび、日常の生活の忙しさに甘んじて思考することをやめてしまう。
やめてしまはないように、何か閃きそうな予感がする場所に向かった。
そこは砂漠の中にある一筋の水脈のように。
この場所では五感をすべて使っているきがする。
音楽を聴き
嗅覚をくすぐる芳香
味わうという意味での珈琲
#6D1010色のカウンターの滑らかさ
造形の美しさ(所作や器や本そしてことば)
勝手気ままだと
彼は言うが
珈琲に対しての器
人に対してのことば
空間に対する慈しみ
お店を愛しているから
来てもらうことにも
一生懸命になれる。
揺らぎがないから
この場所にいるとき
包まれているような安心感をうける。
人も物も愛されているとき、本当の光を放つんだろうな。
大切にするということの本当の意味を教えてもらう。
答えはまだ出そうにないけど
心はとても軽くなった一日。
もう少し時間はある。ゆっくり自分の空間と向き合ってみようと思う。
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