この世界に生きる。
いま
この文章を読もうと、この記事を見てくださっているあなたに、感謝します。
わたしは、生きることの意味、真理とはなにか、それを求めてきたわけではありませんでした。
ただ命があって、目の前にやらなければならないこと、生活を営む、食べること、眠ることの欲を淡々とこなしていた様に思います。
そんななかでも、わたしは表現者、芸術家に憧れました。自分には何かを作り出すことができない、歯痒さ、嫉妬、羨望に苛まれてきました。でも、何をしたいかもわからないのにです。
自分が何をしたいのかを、外側の輝いて見える人の中に求めていたのです。
2020年4月に転職しました。
職場がかわりましたが、大阪に来て10年目にして今までにないほど、制約の少ない自由な職場です。周りの方々も、日々クリエィティブな感性を働かせます、そして個々人の創造性を尊重しています。そしてわたしはまた、自分の存在価値をクリエィティブな角度から否定するわけです、自分には才能がないと。
逃げ出すと同じシュチュエーションがやってきます。
そんななかでコロナ禍に陥ったわけです。
人々の恐れ、弱さ、強さが表面化します。
クリエィティブなことどころではありません。
環境保全の基準はありますが、感覚はそれぞれの内側を露呈していきました。
そんな中、わたしは高熱を出してお休みさせていただくことになりました。
新型コロナの疑いがあるわけではありませんでしたが、高熱により周りを不安にさせてしまうかもしれない、もちろんそれはあります。
夜間に病院にかかり、運良く次の日にはPCR検査も受けられ、陰性と判断されました、そして会社の規定により数日自宅待機になり静養しました。
たくさん考える時間がありました。
一旦停止です。
外からはさまざまな反応がありました。
たくさんの気遣い、優しさに触れる、直接ではない無言の優しさもありました。
なにより、私の恐れが創り出した不安より、優しさが優ったことに気づけたのです。
話が行ったり来たりしていますが、みなさんついて来れていますか。
何か形のあるものを残すとか、創り出すこと。
そういう憧れはもちろんありますが、生きていて、目の前にいる人に何を発言して、行動を起こすのか、自分が何を感じ、どうしたいのか、呼吸し生きること自体がその人の表現になります。
もう一度いいます。
あなたが
生きている
呼吸している
口からことばを発する
ことばに傷つけられた
記憶があるかもしれません。
だけど
ことばに救われる人がいます。
わたしはことばに救われました。
ことばには力があります。
それ自体が
ただあることが
表現なのです。
ひとつひとつの呼吸を
ことばを
瞬きする一瞬を大切に
生きたいです。
お読みいただきありがとうございます。
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