外側へ向かう意識を内側へ
みなさまお元気ですか。
久しぶりのブログ書かせていただきます。
昨日は箕面にあります
音羽山荘という処に伺いました。
友人たちの企画があり行った次第です。
その場所は、箕面の滝までに向かう山道の途中、趣のある建物。
通常は宿泊される方のみが入れる特定の素敵な場所です。
結婚式なども行われてるような。
その企画を始めて伺ったときに、
" 着物で行きたい!"
という想いが浮かびました。
浴衣以外なにも持っていないわたしは、どうやって着物を着るでしょうか。
その初めの想いを密かに抱えながら生活していました。
職場でふとしたときにその場所のこと、着物で行きたい気持ちを同僚に何気なく話しました。
すると、着物一式貸していただけることになりました。
いくつか写真を撮ってきますといい、お借りすることになりました。
着物が現れました。
こんどは着付けを自分でできるかどうか、浮かび、わたしは自分ではできません。
誰かに教えていただきたい、という想いを密かに抱いていました。
そんなとき、友人と喫茶店でお茶をしていたら、友人の友人と偶然お会いしました。
その方は自分で着物を着られる方で、教えてくださることになりました。
そして、一度習い自分では着れないと諦めたと同時に、イベント当日に着付けてくださることになりました。
そんな流れの中、当日は雨が降ってしまったら着物は諦めよう、という想いが浮かびましたが、当日も晴れました。
そして無事に、この場所に着物で伺えたのです。
5人の方との御縁、全て借物、そしてトータリズムのわたし。旅日記を書きたかったわけではないのです。
" おでかけする。"
その中に、さまざまな気づきがありました。
願望の具現化ではあります。
まずはネガティブな心の動きがあっても、
顕れたことを信じる。
外向きに意識がいくと、着物を着た珍しい人がいるという、どう見られているかに気持ちがいく私でしたが、草履で歩く歩き辛さが意識を内側へと向かわせます。
どのような歩き方なら痛くないか。
背筋が丸くなると着物が崩れるから、姿勢を保つ。
動きが制限されますので(私が慣れていないという意味で)ちょっとした衝動買いもできませんでした。
珈琲を飲む仕草さえ、背筋を伸ばして、袖をきにし、食道を通る珈琲さえ意識するようでした。
日頃、なんと身体の動きに無意識なことか、というきづき。
大股で歩く自由さ。
これからも着物は着ます。
日本人として
女性として
生まれた風情を
感じさせてくれる。
枠の中にいること
枠からの解放と
その狭間にある
空の意識を
その裡に体感する
素晴らしい日でした。
お読みいただきありがとうございました。
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