まほろばに水の記憶を辿る
本日は台風の接近により休園。
自宅待機の指示が出たころ、わたしはもう駅にいた。
強くなりゆく風雨。
このまま帰るのも虚しい、といつものチルスポットへ向かう。珈琲を一杯飲んだら、諦めて帰ろうと思っていた。
移動中の電車の中、ふと
今日は仕事があるからと諦めていたことを思い出した。
『アレクセイの泉』
前からずっと見たいと思っていた。
震災があってから見つけた映画。
水のことをまた、深く想うタイミングだ。
近鉄奈良駅に降り、春日大社を目指す。たどり着いた奈良は豪雨の真っ只中であった。
向かう途中、興福寺からの猿沢池までの道路が上から下に落ちる川となっている。
途中、足を取られそうになるほどの速さの流れにもジャブジャブと進むしかない。
一の鳥居をくぐると、土砂降りの中を東大寺に向かうという真っ黒なカッパをきた外国の人と『雨、すごいね』などと笑いあい。
たくさんの川を抜け、2の鳥居をくぐる頃には3分の2がずぶ濡れなっていた。
服のままプールに落とされた時よりはましだ。(下着は無事だから。)
春日大社、感謝・共生の館に入る。
見るからずぶ濡れのわたしを見て受付の方がタオルを貸してくれた。
濡れたお尻で椅子に座るのも申し訳ないと思っていると、仕事着に使っているチノパンがバックに入っていることを思い出した。
今日は本当は仕事だったということすら
忘れてしまう体験だった。
アレクセイの泉は100年前の湧き水が流れでているという。
チェルノブイリから180キロ。
放射能に汚染されているとされる地域で、この泉からは放射能が検知されないという。
わたしの生まれた福島、二本松の水も安達太良山脈から100年を経て湧いてくる水だと聞いた。でも、わたしはアレクセイたちのように信じられなかった。
あの事故以来、様々な情報が飛び交い、人の言葉すら信じられない世界が嫌になった。
どの言葉を信じるのか、それが選択に繋がる。
本橋監督が、地元のおばあちゃんたちに言われた言葉を話してくれた。
(私たちの身体は水でできている。)借りた水を、ここ(生まれた場所)を離れたら返せなくなるじゃない。
すごく震えた。
まだ、結論は出ないけれど。
この映画は、春日大社の式典造替記念奉納作品とのことで、宮司さんが、春日大社も水に関するいわれがあると話してくださった。
灯篭にひとりひとり蝋燭で火を灯し、願い事をした。
二の鳥居から一の鳥居をまで、暗闇の中を歩きながら帰途についた。
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